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2006年6月30日 (金)

梅酒やるのか

最近の梅酒ブームは神の手だ。多くの蔵元が救われている。和歌山でリキュール免許を持たずうろうろしていると、営業に行くと「やらないの」「やるんですか」と聞かれてしまう。

今日は、梅干しメーカーから梅酒分野に拡張されたメーカーと、梅酒限定の卸免許を取られた業務卸の社長が来臨。第三の道を巡って共感と熱意の交換が行われた。リキュールについては勉強していなかったので知識はない。ベースとなる酒類メーカーと投入される梅そのものを本業とするもの、どちらが製造するのが望ましいのだろうか。

この数年、日本酒需要ダウンの中で、ベース酒類メーカーが梅を買って新規参入し、チョーヤさんだのが開拓したマーケットに攻め込んできたのだ。たしか焼酎強かったとな、とか、ちょっと違った視点で自己主張してなかったか、とか思われる蔵の日本酒ベースの梅酒が続々小売店頭に押し寄せているのだが。しかし待てよ。梅酒なんだから、梅屋がやればいいだろ、などいう蔵元は珍しい。和歌山にあって、狭いの、忙しいの、免許がないの、おまけに変人と条件の揃った当社にブランドタイアップのお誘いが舞い込んできたのは、自分が考えても理由のあることだった。

ここから先は、伏せるが。私は本物の酒を提供する、最良の梅の確保は梅産地業者が勝る。日本酒づくりではなくエキスの抽出その他で、梅酒専業者の工場が優る可能性が高い。提携して最良の梅酒を造り共に売ったらおもしろいだろう。

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2006年6月28日 (水)

さまよえる日本酒

6月26日、東京は帝国ホテルにて、高瀬斉先生「さまよえる日本酒」出版記念パーティーが開催された。主賓に小泉武夫先生が見えられたこともあって、業界関係者の出席多数に及んだ。実際のところ、株式会社シマシステム社長の島喜治氏が開発、企画した濃縮純米熟成酒「JO-CON」のお披露目も兼ねるしスポンサーであるから、業界関係者多数のご招待と相成ったようである。

「変化した日本の社会に対応した、常温でも品質に変化の無い、食中酒としても喜ばれるお酒は造れないものだろうか。もちろん、純米酒で。」というのが発想の原点であったようで、機械メーカーとして成功、ご活躍の後の余生をこの活動?に捧げるとのお考えである。「常温でも変質しないためには焼酎のようにアルコール度を高くしなければならない。」ので上槽後の純米酒を冷却して濃度を高めるという一種贅沢な方法で、新しい酒類を作られたわけである。実行力と文化啓蒙への熱い想いは敬意をはらわざるを得ない。

高瀬斉先生の著書は、業界外の立場からの強い激励と問題提起と受け止めたい。中途半端に90%の純米比率でここ数年安定させている当社などは、「なぜまだYK35のアル添大吟醸を造るのか」という問われていることとなる。しかし清酒業界の出荷全体で純米は10%ほどである。小泉先生もこれについては避けた記念講演をせざるを得なかった。

「日本酒を醸造酒というのなら純米酒であるべきで、蒸留したアルコールを添加するのはおかしい。」これは非常にわかりやすいし、説得力もある。マニアもしくは酒通の間では純米派が確かに増えてはいるが、アル添本醸造でも銘酒として有力な銘柄は多数ある。ということは消費者の支持もあるわけだし。私は私、でも「黒牛」は純米アイテムしか作らなかったのは成功だったと確信している。

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2006年6月25日 (日)

大阪酒塾開校

大阪は上本町の都ホテルにて、「大阪酒塾」開校記念式典に参加した。塾長の尾垣淳治さんの挨拶は明解で「マニアの育成を目指す」であって、お酒を楽しみましょうとか、お酒を通じて交友をどうのこうの、は言っておられないから、かなりハイレベルである。顧問陣も島根の堀江先生や元の局鑑定官室長2名に漫画家の高瀬斉さんと、全国レベルである。大阪の有名というかトップ酒販店主や銘酒居酒屋さんも多く参加されていた。だめな業界への叱咤激励と受け止めたい。蔵元は少なかったが、若手の社員、杜氏の参加があった。塾長は製薬会社のたしか博士だったと思うが、趣味をここまで高められ、周りを巻き込んでこれだけの会を誕生させた。酒文化の啓蒙に敬意を払おう。

記念講演は高瀬さんで、これまでの酒の呑み歴や日頃どう楽しまれているかといったお話だったが、日本酒が醸造酒だと言うのなら、蒸留精製したアルコールは添加すべきではない、というお考えを披露された。

二次会の「たこ茶屋」へは行けなかった。残念。「てんまみち阿田」さんも新店「酒座てんまみち」を開店の由。少し日本酒への回帰を感じるものの、蔵関係者の話題は相変わらず明るくもなかった。

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マクロ料理?

マクロと聞けば経済学。書評で見た中公新書の現在経済学の誕生は読まないといけないな、とか思っている、同年代の人士のおそらくほとんど全員と同様、マクロ料理など聞いたことはなかった。打田町の専業農家T家で、NPO法人の和歌山エコビレッジが石釜を作ると聞いて、エコ何とかだしとJRの和歌山線で出かけたのであるが、実際は石釜を作る相談をする予定だった。その懇親会で出てきた食べ物として遭遇したのがマクロビオテック、略してマクロ料理なのだが、中小企業のオヤジには一種、革命的なものに見えたし、無農薬だ、環境だという人達にやや堅苦しさを感じる向きにも、非常に親しみやすく、一般に浸透、普及していける可能性を感じさせてくれるものだった。何よりプロがケータリングしていることもあって、これまで食べた現代精進料理より遙かに美味である。鳥の唐揚げに似せている大豆のグルテン料理などは、黙っていれば気が付かないものだった。玄米ベースのワッフル成形品(表現が悪すぎるが言葉が見つからないのでご勘弁を)は腹持ちもよさそうだし、黍とかの雑穀とされる穀類を柔らかく仕上げているのも、すごい腕前だ。

 Tさんは二十歳くらいで古くからの農家であるが、無農薬の小麦の脱穀と唐箕で選別を実演していただき、製粉機を見せていただく。小麦粉、フスマ、全粒粉の違いも今日にして理解できた。山の中で有名なパン屋をされている人や自分の山の木で製材、ログハウスを建築している人、田舎の古農家を仲介している不動産会社、体験型観光の企画をしている人、Iターンしてきたパソコンインストラクター、マクロ料理家、健康食品会社、医師、農家、公務員、学生---、という顔ぶれを見た限り、私は、せいぜい純米酒比率が高い蔵元ですとかで合わせる程度の、俗な存在だった。経済世界の外側には、環境的にはすごく重要だがカネにはならないという領域が広がっている。そこに関わりたいとかそこで生活したいという人は多いが、経済的に成り立たないと生活できない。私達は、その2つの世界の境界を行ったり来たりしてリフレッシュしたり、向こう側で生活できる方法を探っているのではないだろうか。Img_991933

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2006年6月21日 (水)

ABCDE

本日、第一次のイラク復興支援群長であられた番匠幸一郎さんの講演をお聞きした。戦後の自衛隊が初めて戦域で活動したというマスコミ等の受け止め方に疑問を述べられていた。平和維持部隊として国連のもとで活動は各地で行ってきたのだということだ。今回は日本国独自の立場で参加に踏み切ったという違いも強調されていた。異なる意見もあるだろうが、アメリカ中心の国際外交を行わざるを得ない日本は、彼ら、実直かつ謙虚な専門職業集団を派遣せざるを得なかった。今の自衛隊はそういう歴史的抑制、反省と存在意義を示したい組織意志に、日本らしい専門家としてのまじめさの追求の中で醸成された、おそらく歴史的にも最高水準の能力と士気にあるのかもしれない。講演とビデオから真剣な復興支援に取り組む活動の状況を窺うことができたが、何より、自衛隊は軍隊であるという認識を正しく陸将補が持たれて、きちんと表明されていることは、安心できた。また、軍隊と警察の違いとしてどこかに書いてあったが、軍隊は独立して活動できる組織であるという意味が、連隊よりやや小規模約600人の支援群の活動のスライドやビデオでよくわかった。それにしても日本らしい、整理整頓、秩序へのこだわり、である。ABCDE(あたりまえのことを、ばっちりやるのか、ちゃんとやるのだか、できれば、笑顔で。)AMERICA、BRITON、CHINA、DUTCHの包囲網じゃない。イラク国民の日本への好感度は高かったのは、ODAで病院を作った時の人が正直で誠実な人達だったからだというが、だから我々もきちんとやるのだという、お心がけだった。禁酒、禁ブタ肉で半年がんばった部隊の方に敬礼。

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2006年6月11日 (日)

紀三井寺・吉祥水

 今日は散歩を兼ねて、和歌山市内を軽自動車で移動しては数百メートルを歩いて写真を撮りという動きを繰り返した。18地点廻ったからちょうどゴルフくらいの運動だろう。途中、紀三井寺の吉祥水で休憩する。

 名草山は古事記にも出てくる名草族の本拠地域であったろうが、和歌浦湾を望む山腹に紀三井寺が、宝亀元770、唐僧・為光上人開基されて以来、山イコールお寺というイメージになっている。西国2番の札所だけど、寺には3つもいい井戸が湧いている。北はずれの吉祥水は、山の中からまさに噴き出していて、蛇口もないから、汲まないと損のようだ。天然そのままなので、ポリタンクをいくつも持ち込んでいる人に聞くと、必ず煮沸してから使うのだという。環境省の日本の名水百選に指定もされている。

 少し味気ないが紫外線殺菌灯と、カートリッジ型の濾過フィルターを設置してやると、間違いなしに保健所は飲用適を出す。近所の中言神社はそう設営のご提案をさせていただき、牛の石像の下から水が出るようにしているのだ。

 ここの場合は、本当に直接、山の地面から、けっこうな水量が出ているから、このままの方がおもしろいのだろうけど。慶安3(1650)の銘がある水槽が受けている。文禄・慶長の役で李氏朝鮮から拉致されてきた儒学者李梅渓に徳川頼宣公が整備させたと説明板にはある。慶安の御触書とか由比正雪の乱の頃である。

 そんな事を思いながら後を見れば、片男波から和歌浦一帯がクリアに一望できる。梅雨に入ったばかりだが、この日曜ははずしてくれたようだ。

 2006050302

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2006年6月 4日 (日)

道は良くなったが

今日もいささか沈痛なネタで山奥まで往復である。しかし道は圧倒的によくなりつつある。海南-高野山間は大門まで52㎞、毛原の熊坂だったかトンネルが抜けているのと美里バイパスが半分できているため、3年前より最低5分は短縮されている。あと2本は堀りかけている。奥の院は20.5℃の表示で気持ちが良かった。野迫川への上がり口の県道も拡幅されていた。以前土道で削った斜面の赤土が剥きだしの印象だった尾根沿いの道も年月が経つと、緑で埋め尽くされている。人間の活動なんてそんなものかもしれない。温暖化で海面が上昇して、資源戦争とかの結果で文明が衰退したら、また数千年もすれば植物が地表を覆うのだろうかと裏高野の山並を見ながら思った。それにしても、地方の苦境が伝えられる今の世情であるが、我が家と縁の深いこの村も大変な苦境と聞くが、道は来るたびに良くなっている。道が良くなるほどストロー効果で人は吸い出されるのか。

 夕方、黒江駅から電車で移動。JR和歌山駅前のホテルグランヴィアで結婚式の2次会。JR系のホテルで駅前は圧倒的に強い。今の和歌山の商業地はJR駅前西口周辺だけに顧客が集中している。といってもこのホテルと和歌山近鉄百貨店だけが核店舗だけど。とにかく2次会でもあり出席者も演出も若い。堅い話し方もできないので、ブロークンな締めの一言を担当。たぶんみんな聞いてないことを祈る。

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2006年6月 3日 (土)

苦あれば楽あり

酒ではないが食品の方でラベルの貼り間違い事案が発生した。夕方から大阪の会合に出る予定、しかも司会担当だ。社員を怒るひまがあったら早くリカバリーショットを打て、だ。ばたばた作業を手伝い、手分けして配達、交換を自らも済ませ指示を出し目途をつけてから、その足で大阪まで急行する。やれやれで飲みたいところだが司会ではそう飲めない。普段会えない人たちと盛り上がっていると、自営業も悪くはないなと思えた。551の蓬莱さんが「パンチャン」という大きなレストラン・宴会場を経営しているとは知らなんだ。同じ中小企業団体に入っている人にも会えたのはすごいことだ。和歌山県は会員は少ないが大阪にはけっこういるのだと感じた。寄り道をしなくても帰ったのは11時を過ぎていた。

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