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2007年7月16日 (月)

はたして生もとが終着点か

14日にディープな酒関係者の来訪をいただく。いろいろ話は出たが、さて、「日本酒に凝りだしたら終点は生もと(きもと)か」というテーマが自分にとっては宿題になった。香り華やかな大吟醸から、旨味のある純米系へ、そして燗酒、最後に生もと、と言う遍歴を経た経験者がいるそうな。はたしてそんなディープなのめり込み方をする者がどれだけ居て、そこへ照準を合わせるべきものなのかどうか。

日本酒など飲まないという者に少しは嗜んでもらう努力が優先だろうし、そんなマニアのプロセスが正しいかどうかは別として、そのこだわり進化のプロセスのどこに焦点を合わせるかも各者違いがあってよかろうと思う。

ただしマニアの声は大きい。とくに狭くなった土俵の中では、イベントに出てくる人間はどこへ行っても同じという傾向も出てくる。そういう頻繁に地酒のイベントに出てくる人は、よほど全国各地の蔵の酒を文化や歴史的な面から知りたいと思っているのでなければ、そういうマニアであるから、市場が影響を受けないわけがない。

純米酒の比率も少しは高くなってきたとは言え、大部分はアル添、それも液化仕込みのパック製品が主流という現状の中では、「まともな」日本酒への取り込みが、純米きもとの燗酒ではないのは明かであろう。先鋭的な部分に特化する蔵もあってしかるべきだが、市場全体を見渡して、自社のポジションを探るしかない。しかし準備はしなければならない。一旦構えてしまうと蔵の中の配置等難しい問題が多い。きもとは場所とタンクが多く必要なのだ。

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