衒示的消費
ある回想録で「衒示的消費」について説明されていた。19世紀の経済学者ソースタイン・ベブレンが作った言葉で「個人の財・サービスの購入は、隣人に負けないように見栄を張ることと結びついている」という、日頃よく見聞きされる人間の行動の一側面である。ありすぎても困りものだが、なさすぎるのもつまらないものだろう。 先日、「記念消費」について清酒がワインに領域を譲りすぎたと書いたが、この「衒示的消費」についてはどうなのだろう。日本酒党は賢いので、すぐに値頃感とか価格の割にうまいとかを追求してしまうようだ。結局それはブランドの評価に回収されるから結構なのだろうが、身近なうえに過当競争の業界の価格情報が充分社会に行き渡ってしまっているせいだろうか。また、安売りというか安過ぎる価格設定をする、いやさせられた、一部メーカーの影響もある。もう少し見栄でもいいから高く売るアイテムもあっていいし、俺はこれくらいの者だからとか、今度あてたから、とかの理由をつけて高い酒をそれも見せびらかして飲まれるように、したらいいのでは、というわけだ。これに対応するアイテムを各社はそれなりに大吟醸とかで発売しているが、どうもギフト用というイメージが強く、この衒示的消費やら記念消費に対応できていない、というかワイン、シャンパンに取られていると感じるのである。同じお金を出すなら確実にワインより高いランクのものが吟醸は飲めるはずだが。
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コメント
やはり日本酒の良さが昔の三倍増のためかで
見えなくさせてしまって、高い酒でもその基準でエンド・ユーザーは見てしまうので日本酒をいわば「見栄」としての価値を認識しないんじゃないかと思います。それは淡麗辛口一辺倒に向かう大手メーカーにも言えるでしょう。地方の小さい蔵がそれぞれ個性的な美味い酒を醸しているという事実を広めることに尽きると思います。
投稿: 中谷 | 2007年12月24日 (月) 11時02分
昔は「特級酒」なんてのがありましたねぇ。
あれは大衆に実に分かりやすい差別化でしたね。
投稿: 合氣堂 | 2007年12月24日 (月) 11時28分
中谷さん、合気堂さんコメントありがとうございました。やっぱり歴史的な影響とはすさまじいものですね。取り除くにはまず清酒の表示基準が問題ですが、充分に変わるまでにあと十年はかかるでしょう。充分にとは、純米酒しか清酒じゃないとか、ドイツみたいに醸造法を作れ、と言ってもまず無理(国税庁が管轄している限りあり得ない)なので、液化仕込みを清酒からはずすとか、米糠糖化液を使った米だけの酒はなしにするくらいは最低必要ということです。三倍増醸が今度の改正で二倍くらいになったのですから、業界のパワー構成が移動していけば自ずと実現するはずです。それから国民の西洋コンプレックス解消にさらに時間がかかるでしょう。戦国時代ドラマをやると何故か必ず信長がワインを飲む、部下に飲ませるシーンが出てきます。たぶん真実にせよ日常であったはずもなく、せめて信長には諸白を飲ませて、片白を家で飲む藤吉郎が親方様はきっと諸白だよな、とかの台詞がほしいですね。現代ドラマでも、なんで失○園でシャトー○5(伏せになってない)なんだって思います。その頃、どれくらいの量まで清酒が減っているのか、生き残らないことには見届けられませんので、しぶとく行きたいですね。
投稿: 不断齋 | 2007年12月24日 (月) 16時32分