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2009年5月14日 (木)

1次産業と2次産業の間で米は蒸されて溶かされる

JAと上部農業団体の方にご訪問いただく。秋にはいちど見学させて下さいとお願いした。

当然去年の米の話やら農業の話になるが、天候、気候といった不確定な要因があって年1回の収穫という、安定した量と品質確保に限界があるという、農業の本質についての話になる。酒造でも気候の影響はあるし、その米の年ごとの違いへの対応に迫られる苦労を話す。設備と購買、技術が一定としてでもだ。継続的に酒造りをしていくからタンクごと、米のロットごと、作業時の気候等で、同じスペックの製品でも微妙にブレる。それを安定させ高品質にする設備と技術が求められるわけだが、そんなに都合よくいくはずもなく、不断の向上をめざすしかないのだ。そうそう、出荷までの処理、出荷した後の経路と管理によっても違いが出る。

 その蔵から出荷された先の世界はそういうことは考慮されない、もしくはしたくない世界だ。一部ではその年ごとに微妙な差があっていいんじゃないですか、と言う人もいるが、それは気休めで本心ではない。安定した、高品質で、できたら安く、ほしいだけ、早くというのが現実でこれは工業社会の価値観だ。運送、流通、提供はサービス産業になる。

原料が入ってくるまでが1次産業ワールド、蔵から酒が出て行った後は2次産業、3次産業ワールド、その境界は蔵の中にある。たぶん薄暗い蔵の中で、米が蒸されて、もろみの中で溶けていくところで別世界に遷移していくということで、酒蔵というのはおもしろいのか不可思議な場所だということになる。

 そういう産業社会に背を向けた者どおしの連帯みたいなものが当初の地酒マーケットにあったかどうかは定かではない。初期に名を成した蔵もけっこう大きいから。どちらかと言えば流通側にその傾向があったが、今は蔵もそんな雰囲気な所へ向かう所が多い。まじめに経営すると2次産業的になって、ギスギスした社会に取り込まれていくが、それを経営努力というようだ。どの程度お客の需要に合わせるのか、これも難しい所で、普通の産業なら顧客ニーズには可能な限り対応して、規模を拡大する、でいいが地酒の場合はそうでもないと思うのだが。

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