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2009年8月27日 (木)

天辻峠

奈良県五條市から国道168号を南へ山中に分け入る。賀名生(あのう)、城戸を通り過ぎると坂道が急になって、天辻峠へ駆け上がる。細暗い新天辻隧道を抜けると高所ながら南に開けた展望となり、道の駅が設けられている。一時流行ったが天文台にプラネタリウム、ロッジ星の国、土産物屋に食堂、駐車場脇には藁葺き屋根の郷土歴史館もあって、道の駅吉野路大塔を中心にした、観光拠点になっている。時間調整が必要なので、旧道の峠道を少し上り、天誅組本陣跡へ行ってみることにした。

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峠の南側に少し降りたあたりが昔も集落で要衝、物資集散地だったらしい。この地の富豪、鶴屋治兵衛の屋敷を五條襲撃後の天誅組は一時の本陣にした。さんざん京都で天誅を実行して開国派の公家達を暗殺していたが、孝明天皇の橿原神宮行幸を計り、そこで攘夷の号令をいただこうという戦略の先行部隊として、五條の代官所を襲撃したのだが、京都では8.18政変で尊皇攘夷派は排除され、彼らは単なる暴発者になってしまい追討を受ける立場となった。挽回するため十津川で兵を募り、高取城を攻略しようとしたが、撃退され後は諸藩の兵に山中を追い回されて、殺されたり捕らえられて過酷な処遇のうえ斬首、全滅した。1863(文久3)年のことだ。簡単に維新の先駆けとかで片付けられるものではないように思うが、今は観光資源にされているようだ。そんな道の駅あたりとは違い、山の上の維新の郷は、鶴屋の屋敷、本陣跡が広場になって石碑が残されているだけである。

地元川津の庄屋の出の志士、野崎主計の辞世の句が彫られている。郷士をまとめて参加させたが、追討されていることを皆が知って離反した時、責任を感じて自決。

   討つ人も討たるる人も心せよ  同じ御国の御民なりせば

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