伊豆下田、石廊崎を徘徊する
秋の遠足につきあうことになって、南伊豆まで足を伸ばした。朝8時前に海南駅を出発して、午後2時過ぎには伊豆急下田に立っていた。それにしても新幹線のEX-ICはすばらしいシステムだ。都合5センチ角程度の紙切れ1枚で済む。この先25%CO2削減しろと言われてどうやるんだろう。
本州の南側に突き出た半島としては紀伊半島の幅を4分の1程度に圧縮した相似形のような伊豆半島。その先端付近となると、紀伊半島の串本に下田は相当するが、雰囲気は勝浦、新宮あたりに似ている。結構背後の山が急な岩山でこれも新宮っぽいが、粘りけのあるマグマが太古噴き上げたんだろうか。
あてにしているのが東京とあって当地の方が賑わっているようだ。重要な港はわかるが、幕末のペリー来港、開港からハリスや唐人お吉と観光資源も多い。なまこ壁がきれいな民家も残っていて、観光と漁業の静かな街という感じかな。ペリー艦隊が停泊した入江を見下ろす露天風呂に入る。
何せ自分が一番若く、それもけっこう年が離れて、の一行だ。石廊崎では燈台まで15分ばかり歩くが半分が麓で休憩している。遊覧船も乗ったが、さっき半島最南端に立って海原を見渡した岬を今度は海から仰ぐこともできた。断崖絶壁に張り付いた石室神社は存在そのもので霊験を感じさせる畏怖の対象だが、昔の千石舟の帆柱で社殿が建てられていて、何でそうなったかが伝説の材料となっている(省略)。
彼らは、たぶん資料館系になると読むのもいやなんだろうか、最後は水族館見物と相成る。いいんですよ。水族館の海獣芸は白浜のアドヴェンチャーワールドの方がはるかに迫力があるが、こちらは触れ合い重視で、ウミガメにも触れるほど近づける。ここは前日夕方散歩して登っていた下田公園の裏側にあたる。港口を押さえる岬で、北条氏の海賊城だった。下田城(鵜嶋城)として説明板があった。天正18年(1590)の豊臣方の攻撃に50日間抗戦して降伏している。
帰りは熱海で別れて一人西帰する。どう見ても新幹線からの連絡性が紀伊半島は悪い。今更新幹線を呼び込む時代ではないから、ダイヤ遅れを減らしたり1分づつでも所要時間を縮める投資を求めていくしかないだろう。
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