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2010年1月31日 (日)

それで林業が再生するのか

林業関係の講演会を聴きに行った。その時の講師というのが「日本に健全な森をつくり直す委員会」のメンバーで養老孟司先生を委員長にかついでいる。民主党の政策決定に影響力ありと自負され、話の大筋と方向は理解できたが、それが実行されるのか、またその動きが広がるのかどうか。

つまり、充分日本の木は育ってきたから、作業道をどんどん造って、皆伐を止めて間伐をどんどんやって、所有者の施業地の取りまとめもすすめて広域で出材量を揃えようということらしい。もちろん製材、乾燥、合板・集成材工場の大型化効率化も当然必要だという。モデル地区を作るとか、路網整備と施業集約化は結構だけど、ヨーロッパの大型機械導入というのはどうなんだろう。

それよりも「森林・林業再生プラン」とか「林業再生最後の挑戦」とか、みんな再生という語を使っているんだけど、これは暗黙のうちに一回死んだと認めている言い方で、死んでしまって最後の挑戦とは矛盾していないかと読んだときから思っている。

会場では、素材業者さんが最近はただのような値で買えるとおっしゃていた。立木も入れて。市場で価格が成立しないとき、株で言えば気配値だけで値を下げていくという状態のときがある。上場などしていない土地だと個別性が強いからだいたいどれもそういう状態なのだが、1件取引がまとまると、それがシグナルになって「相場」ができる。それも周りに知られるのに時間がかかったり、特別な事情で影響を与えなかったり、知られなかったりで、「事情」に影響され、非常に不確定で情報の非対称性も強い。ましなのは大規模分譲住宅地やマンション、というところだが、今の地方の宅地などまさに気配値で切り下げているところだ。

さらに別格、最もキツイ状態にあるのが、山林、それも宅地等に転用される可能性皆無の純山林だ。まさに気配値で、どうせ山なんか無価値だという所までとうとう来た。一度業界ごと破綻した、という現状認識をまず共有しないといかんのじゃないかと思った。素材生産業者が採算の合う値で山林を買うのは合理的だが、捨て値が一回できるとそれが相場になる。捨て値がなぜ出てくるかというと、既存の債務の償還要求が厳しいか、実勢に比べて高すぎる資産評価で不当過重な納税に迫られたからで、こういう金融面からの見直しが必要と思われる。宅地なら競売で売れるが、山で一斉に処理することもかなうまい。需要がないところに処理圧力をかけても無理だし、まして皆で換金に走れば、洪水や国土荒廃を引き起こす。

環境への貢献、債権者の責任分担という言い訳はモラルハザードを招くと言うなら、投げ売りに出ないような猶予措置と引き替えに、新しい政策とやらの集団施業に協力させるというあたりが、いいと思ったが。林地や立木の評価の見直も、専門家の立場からも求めていくことになる。

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