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2010年9月28日 (火)

岡山の藤田地区で雄町の田を見る

岡山の藤田地区で雄町の田を見る
岡山市の藤田地区まで雄町の田を訪ねます。良く実が着いています。穂に180粒はあり、1株25本は出ていますが、これでも反に7俵程度だろうということです。ボット苗で坪40本くらいの植え付けなのと、グレーダーの目が2.1ミリと大きいからだそうです。刈り入れは10月半ばで、蔵に入荷するのは11月でしょうが、楽しみです。

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2010年9月25日 (土)

精米開始、今年も酒造期入り

21日に富山の五百万石、22日に冷蔵で預かってもらっていた山田錦が入荷。今年も精米開始です。10月1日から米トレーサビリティー法の適用が始まるので、書類の保管が厳重になります。取引先によっては産地証明書を求めるところも出てきましたが、これは前から準備を進めていました。加工用米の使用がないので、あまり問題になることはないでしょうが、産地表示には慎重になります。来年からは原材料表示に米と書いているところを、米(国産)と書かないといけないらしいし。地元にいる社員がまず精米や清掃を始めて、杜氏らの到着を待って、井戸替え、消毒と造りにかかります。

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2010年9月24日 (金)

危機感不足がもっとも危機的か

お客様にも様々な方がいらしてお誘いがある。台湾系華僑団体の交流会ですが、勉強にもなるかと、梅田の大東洋まで出かけます。プリンストン大出の経済学博士胡春田先生の講演は、「東アジア、台、中両岸の経済情勢と商機」と題して、地域貿易協定がんばらんと台湾が辺境化するから両岸の貿易交流を進めろという講演でしたか。何しろレジュメの日本語部分しかわかりません。日本に置き替えてもいい内容で、周縁経済に転落する危機感が今の日本には不足しています。突き詰めると農業で譲らないと協定できないのですが、格差社会や食料自給率、地方切り捨ての声の前に政治が動けないわけです。そんなまま雇用が海外へどんどん流出していくという、思考停止的傍観状況は日本の方がひどいはずで、その危機感の不足が特に日本の左半分には感じられ、憂えるところです。

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400人から集まっていましたが、ほとんど日本人はいません。ロータリーの縁で交流協会に入っている人がいましたが、本土への投資にはネガティブな感覚でした。隣国の話を聞いて自国の難問を思う、いい機会ではありました。

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2010年9月21日 (火)

ディープな北河内の夜

第二京阪が開通して、和歌山方面から北河内や京都南部方面は、驚くほど時間短縮されました。近畿自動車道を門真から分かれて南寝屋川で降りれば、京阪寝屋川市駅あたりへは1時間ちょっとで着いてしまいます。質素なビジネスホテル「コマンダー」ですが、「おるろーじゅ」という宴会場アネックスが付いています。今年も、酛廻り君を引き連れ、乗り込みます。京阪沿線もなかなか庶民的で、今年もアットホームないいお酒の会が開催されました。旧知の蔵元と挨拶を交わしたり情報交換するのも有意義です。

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テーブルの同席の方は地元の方ですが、相当近辺でもボランティアの動員があるようで、懇親会の参加者の半ばはスタッフと蔵かと思ってしまいます。妙に酒に凝ったところがないのがいいところかもしれません。いろんな所で同じような会があると思わないで下さい、ここは相当ユニークで強力ですよと臨席の方に訴えます。

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ベル大利商店街の裏路地のスナックで、オーストラリア人のクイーンのカラオケを聞くと、人類皆似たようなもんかなと思います。ここらは北河内で、洞ヶ峠から紀見峠までずーっと河内なんですが、濃い人間関係と義理堅さが生きているところです。

電車でもそう京橋から遠くありません。宿泊拠点をここまでずらすことがあってもいいかもしれない。

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2010年9月20日 (月)

黒江の街の歴史を考える(池崎山の池とはどこにあったのか)

連休ですが、土曜は公民館主催の地元イベントの案内、日曜は河内の酒イベント参加と、なにがしかの活動があります。読まなきゃいかん資料もあるしな。

まずはローカルネタからです。

自分ン家の酒蔵を案内して一応終わりなんですが、それから一行が黒江の街の散策に行くのを、いい機会なので後をついて行きます。

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どうも堅い書き方になりますが、旧の黒江を説明すると次のとおりです。

蔵の北側に標高100mクラスの、東北東から西南西に伸びて海に至る船尾山があり、東側にブタ山とも呼んでいた城ヶ峰が標高200m以下で構え、丘の隙間の北東の標高8m程度の峠から南西向きに降りてくるのが黒江坂、坂の底が蔵あたりで、熊野街道は今度は南向きに坂を上がって行き日方へ向かいます。南側をまた西に突き出した丘があって、池崎山と呼んでいますが、これらの丘で三方を囲まれた、南西向きに開かれた地勢で、池崎が切れた先は船尾になりますので、昔から黒江というのは、北東-南西方向に伸びた形状となっています。

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これで海面がずっと高かった奈良時代の頃、蔵の当たりまでが海の入り江で万葉集の黒牛潟として詠まれているのは有名ですが、その黒牛というのは黒い牛の形をした岩で、干潮時には現れ、満潮時には隠れるという状態だったといいます。中言神社の鳥居から東南方向といいますから、図上たしかに酒蔵の真上を通る線にあたり、言い伝えでは蔵の裏の米屋がある辻あたりとも蔵の下とも言われています。地籍調査の過程でもっと南の方という新説も出ていますが、岩がそこにもあったということでしょう。

江戸時代にはとうの昔に埋まっていて所在不明であったといいます。川端通りへ出る角を中心に楕円状の小道が東側に2重ないしは3重に確認されますが、おそらくは海退の証拠で、海が引くに連れ最も海に近い道ができていったという形跡です。鎌倉時代の地震でこのあたりは隆起したとも言われています。

江戸前期に今の川端通り沿いが埋立られ、一旦区割りした後少し角度をずらして水路と道を引いたため、平均102度角の平行四辺形で約50坪ずつのマス目状の区画割が作られ、特徴のある町並みが出来上がり、(他の説もありますが)、黒江一村限で黒江塗産地として保護され、繁栄します。この中央の水路は、昭和初期に暗渠化され幅12mくらいの幹線道となって川端通りと呼ばれています。

ただし、元屋敷に渋地椀の職人が戦国時代からいたとされます。黒江御坊は1504(永正元年)創建、人里離れた所に大きな寺が建つとも思えません。私見では山名義理が大野城へ南朝方の湯浅制圧のため守護所を置いていた14世紀後半には、政治の中心地に近い海辺の日方(干潟から転じた)、黒江あたりに人が集まり、職人達も移住してきたと考えるのが妥当と思われます。位置関係から川端通り沿いがまったくの海であったとも、地元民としては考えにくく、おそらくその時期には干潟状態となり、奥の部位、微地形より考え、蔵の南方市場付近は池状になっていた可能性があります。大野城の枝城として、城が峰や洞山城が配置されますが、池崎山が洞が城で、和歌浦方面への交通路を押さえる役目であったことは想像に難くなく、その「池」崎とは、どこの池のことであったのかという、地元民しか考えないテーマが私にはあります。

蔵、自宅の地名は字元屋敷で、黒牛という小字は黒江にはありません。まさに地名は言葉の化石というとおり町内会名として残っています。元屋敷が元の住宅地域、その南は字市場、元屋敷の西端を南北に黒江御坊へ登る通りがあります。それが江戸初期に海岸沿いだったかどうか。以西を埋立たにせよ、きっと干潟か海岸砂丘、芦原の荒れ地で、池崎山寄りには池があったと16世紀後半の風景を再構成してみました。

さて池は本当にあったのか、あるいはどこにあったのか。

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2010年9月17日 (金)

夕暮れの岸壁で風にあたる

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やっと涼しくなってきたのでしょうか。

田辺市文里港で夕暮れを迎えます。風にあたって海に秋の気配はないのか遠くを見渡します。巡視艇が3隻固まって停泊していました。田辺海上保安部のある役所のロビーにPM32みなべ、PS12こうや、CL121むろかぜ、と写真を飾っていますが、その3隻ともそろっていて、それぞれ大中小と大きさが違います。ここらでは密入国の取締だとか聞いたことがあります。国道42号を海岸沿いに串本の方まで走ると、密入国や不審船の注意を促す看板があったりして、けっこうそういう問題も大きいのかなと思います。

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2010年9月14日 (火)

燗酒劇場 於 ホテル日航奈良

ゲストですが、関西末広会さんの燗酒劇場に参加、酛廻りも同行です。ここは仲良し純米燗酒倶楽部のイベントです。200人ほど、大阪近辺の濃厚な地酒ファン、関係の方が参加して日航ホテル奈良で開催されました。

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引いて撮った画像ではどこのイベントも同じに見えますが、ここはスタッフが赤いTシャツで固めていて目立ちます。純米比率は当社も高いのですが、燗酒にはそれほどこだわってきていなかったので、間近に見るとすごい気合いで、尊敬してしまいます。

燗はなぜするのか、なぜ夏こそ燗酒なのか、理由づけはちゃんとあって、燗すると酸や渋みが旨みに変わるとか、体温より少し高い温度帯が一番アルコールの吸収が早い、まわりやすいが、飲み過ぎない、等々ですが、そういう説明がいらないほど、参加者がコアな人達で、すでに知っているということでしょうか。でもやるかぎりはPRせねば。なぜ夏こそなのか。体力が落ちているという前提で、暖めた液体の吸収は楽だということもあるのでしょうか。燗もいいけど冷酒もだしてほしいという人もいたけどね。まぁこういうイベントも当然あっていいでしょう。燗酒がいいのはわかっていますが、要は面倒くさいという理由で料飲店でも酒燗器を置く店が減っています。レンジでは首が熱くなりすぎるのですが、まぁそれは不問にして、とにかく一般へのPRが必要だと。

いつもいろんなイベントに出て思います。今のファンをより掘り下げるテーマとは別に、無関心な層や少し関心がある層にもう少し興味をもってもらうというテーマの企画もほしいと思うのでした。

夜の奈良の街を歩くのもよかった。JR奈良駅からなら町の方へ600mほど入った、「やすらぎの道」をちょっと路地に入ったところにある梁山泊というお店で打ち上げします。皆熱意ある蔵の方なのでいい話も聞けました。お互いの健闘をいのりましょう。

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2010年9月13日 (月)

ちょっと濃かったかなぁ ひやおろし

「夏こそ燗酒」とか標榜しているイベントに翌日出かけようという週末、こっちは夏こそ鍋やで。残暑が続く夕暮れ、塩津浦を見下ろす「しらす」屋さんで、オイやん達がハゲ鍋で一杯やりました。

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当社からは「ひやおろし」を協賛提供しましたが、これが原酒(アルコール分18%、一回火入れ生詰)ですので、ちょっと淡泊な鱧やハゲの刺身や鍋と合わせると、ややきつく感じたようです。ちょっと濃いなぁとは優しい感想でした。加水のひやおろしがあったかどうか、他社の動向も見ないといかんです。

「しらす」は倉庫に満載ですが商売用でここでは用いません。この地方の名産でもあります。鮮度が命なので、浜で釜あげしますが、今年の猛暑はどういう影響があったか質問します。さんざん米農家で聞いてまわったから温暖化の影響を探る、温暖化ハンターみたいなもんですか。

答えは意外なもので、豊漁、品質変わらず、だそうです。「しらす」こうちゃってヨォ。

マルタ水産

〒649-0131 和歌山県海南市下津町塩津505−1 073-492-2819

今度会ったらホームページくらい作ってみれば、とか言ってあげたいけど、お節介かなぁ。

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2010年9月 8日 (水)

和歌山県人口100万割れ

和歌山県の推計人口が、9月1日の県発表で99万9834人となり、100万人を割ったことが明らかになりました。今日も話題になったのでアナウンス効果が心配だとコメントしておきました。とは言え1982年がピークだったといいますから、もう30年近く横這いから微減へ、そして減少とダウントレンドだったということです。これから減り方が加速されるというありがたくない予測です。今後25年で3割減るという仮説に従えば、県外、輸出で3割以上増販しないと規模が維持できないという冷徹な分析が成り立ちます。そもそも地酒屋というのは規模拡大を否定する所から出発していますので、あまり規模のことは考えたくありませんが、経営という現実には逆らえません。

しかし和歌山に限らず地方にあってこその地酒なのですが、足下から人がいなくなってしまうとなると皆さん心細いことでしょう。地産地消とか地元重視とか言うのはかっこいいのですが、人がいないのでは仕方がありません。それもアルコール離れとか他酒類とのシェア争いを無視してのことですから覚悟がいる。

100万以下のお仲間は香川、山梨、佐賀、福井、徳島、高知、島根、鳥取ということですが、まぁそれぞれいい酒もあるし。昔はこういうランキングにすごく反応してコンプレックスを持ったのですが、何も県が独立国家で自分が領主というわけでもなく、他国の領主と張り合う必要もないので、気にしません。ただマーケティングということでは気にしないわけにはまいりません。

県内しか売っちゃいかんということでもないし、果実出荷額はトップ級でリキュールは健闘(他社さんは)、ということですから、将来ネタも含めて、今は純米酒集中でいこうかと。

そんなことより、龍神の福井のトンネルが開通したらしい。これでまた和歌山=新宮間が5分くらいは短縮されるはずです。早く通る機会を作らなくては。

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2010年9月 4日 (土)

美山錦早くも稲刈りです

早生品種の酒米はこの土日に稲刈りの所も多いことでしょう。もうこんな季節なのかと、暑いながら思ってしまいます。今日は、有田川町東部山間の旧清水町、久野原地区へ稲刈りを見に出かけました。

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うるち米のイクヒカリをコンパクトなコンバインで刈っていますが、ものすごく静かな光景です。契約栽培の美山錦は朝から予定分を刈ってしまって、残りは明日らしいので、その圃場へ廻ります。

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向こうの色づいた方が酒米の田ですが、まぁ反に8俵ちょいというところでしょう。2.2反ご協力いただいています。株分かれ(分けつ)が少ないことを株が張っていないとここでは表現されます。春の低温が影響したのでしょう。五月15日に田植え、出穂が7月20日頃、明日9月5日稲刈りと、時期としては例年どおりで、猛暑で「焼け」は多少でたものの稲刈りの時期に影響はなかったようです。ただし、水を最後の10日ほど抜くのですが、暑すぎるので、少し遅らせます。そうしないと暑さで籾が赤く焼けるのです。高温障害はデンプン質が堅くなって精米時に割れやすくなったり、酒にした時溶けにくくなると言われます。乾燥のしかたも急な機械乾燥は割れる原因となります。

早い年は5月の連休に植えて、8月末頃刈っていますから、期間的には同じようなものらしい。どうも「押していない」、穂が混んで倒れ気味のものが目立たない、ということで、多少は押している方が収量はやはり多いそうです。また立っているけど実が入っていない穂も目立つといいます。坪当たり60株、4、5本植えだったようですが、コブノメイガ被害も発生しています。幼虫が葉を食害して綴ったり折ったりするそうで、薄皮を残して食べられると白くなります。毎年ご苦労は絶えないということらしいのですが。

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これから乾燥、籾すりして、9月の末には検査も終わり蔵に入ってくる、ここは特に社員が引き取りに行くほど緊密な関係です。標高300m近辺で山からの用水が豊富ですから、県内では人気が高い地区で、つてや通販で消費者に直接売られる量も多いと聞きます。何しろ美しい谷間です。今年も県産米使用アイテムはきっちり産地ピーアールに活用するつもりです。

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2010年9月 3日 (金)

酒米サミットがまた増えてきたような(雄町サミット2010)

3年目の雄町サミットを見てきました。酒米としては元祖級で、約60種類あるという酒造好適米の6割がたが雄町のDNAを引き継いでいます。山田錦、五百万石、北錦などですから当社では製品のほとんど全てがその系統に属するということになります。来月は山田錦サミットも神戸でやるということだし、全農も大変だなと思ってしまいます。農業団体さんは米産地のPRにこういう酒イベントにまで予算を使うわけですが、蔵の方は自社のPRで見ていますから、産地やポジションで蔵の思惑も違うのでちょっと気になりますが、今後の発展が期待されます。酒を出品する蔵の確保が問題でしょう。

とは言え、非常に魅力のある酒米ですから、ぜひ造り手としても挑戦していきたい品種ではあります。米の味が酒に移る、しぼりたてでも早く味がのる、劣化が遅くてうまく保存すれば2,3年たってもうまく飲めるという特長があります。(酒一筋の杜氏さんのコメントによります)生酛、山廃の酒母も取りやすいとの話でした。

芯白の形が丸く大きいので、50%以上削り込むと割れてもったいないとも言われます。たしかに特別純米くらいで味わい豊かでふくらみがある特性を活かした食中酒に使った方がいいかもしれません。今年はまだ雄町を使って2年目なので試行錯誤は続きますが、連れていった頭達が利き酒の結果を活かしてくれるよう期待します。

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